2017年2月28日火曜日

ピンクが効いたおっさん


信号待ちをしている前方にただならぬ人がいる。
カバンが多いのでホームレスだろうか。

帰りの新幹線の時間が迫っていたが追跡するしかない。




朝の繁華街を歩いていく。
パンストを履いているが確実に男である。
頭部にかぶっているものはボウルに布を巻いたものだろうか。
しかも二重である。ピンクが要所で効いている。
そういえばマスクもピンクだった。
それぞれのものには全く汚れはなく、いたって清潔である。
ホームレスではなようだ。
彼が雑踏に消えたところで追跡をやめた。
結局、新幹線に乗れなかった。  (肴町 浜松)







2017年2月27日月曜日

濡れたティッシュ

雨降る夜の街で男が介抱をしている。
ゲロと雨で濡れたティッシュがとても切ない。 


2017年2月26日日曜日

また会いましたね佐多岬

また会いましたね、涅槃仏。

また会いましたね、開聞岳


きのう、閉館していたので今日は朝からリベンジに来たのである。
展示館に入るといくつかの仏像と、この施設の概略と完成までの経緯と
この施設を作った団体「平等大慧会」の教えが展示されている。
館内のおばあさんが丁寧に教えをガイドしてくれた。
教えをとてもざっくり言うと
ご先祖様をきちんと供養しなくてはならないということだ。
館内の写真撮影は残念ながらNGだった。



ガイドのおばあさんによると対岸の薩摩半島にも
平等大慧会大きな仏塔があるとのこと。
半島をまたいで2つの聖地をつくるとはスケールが違う。


売店で販売していたオリジナルドリンクを購入する。
向かって左のPRIME-TENをまずは飲んだ。
高麗人参テイストの炭酸飲料だ。
コーラのように少しシャキッとする感じだ。
乾いた喉を潤す。



 涅槃城を出発して佐多岬の先端へ向かう。
謎のツタ植物が道路をふさぐ。もうここは亜熱帯だ。


ついに佐多岬へ到着した。白い灯台が先端だ。

しかし、工事中で先端まで行けなかった。
結局、涅槃城に行けとのことだったのであろう。

帰り道、涅槃城で買った栄養ドリンク「プライム テン ゴールド」を飲んだ。
何もそのようなことは考えていないのに
運転に差し障るほど、しばらく勃起しっぱなしであった。

おそるべし涅槃城。

米のデコレーション

米の無人販売は初めて見た。
札がついたままの飾りつけが素晴らしい。 (佐多馬籠 南大隅町)

ポスト・ポスト

ポストの後に作られた階段。  (本町 鹿屋)

2017年2月25日土曜日

狂気の佐多岬

 所用ありて鹿児島へ。

まだ行ったことのない大隅半島へ行こうと最南端の佐多岬を目指す。
以前の鹿児島行きで見れなかった埋没鳥居を拝むことができた。
1914年の大噴火で埋もれてしまった。
神社のあった黒神村全687戸も同時に埋もれてしまい、
完全な島だった桜島と大隅半島が陸続きになったそうだ。


鹿児島の墓は屋根付きが多い。
今気づいたのだが、火山灰から墓を守るためなのであろう。


桜島を越えて大隅半島へ。
枯れたバナナの木が南国であることを教えてくれる。



ビーチサイドのたこ焼き屋。
地方に行けば行くほど、たこ焼き屋とお好み焼き屋には
「大阪」の名前 が入る比率が高まる。



進行方向右手には帽子のような山が見えてきた。
開聞岳である。向こうの陸地は薩摩半島だ。
桜島が見えなくなったと思いきや、いれかわりで開聞岳が見えてくる。
鹿児島のシーサイドは名山を見ながらドライブできるのがよい。


あと数キロで岬の南端というところでたまらない看板に出くわす。

ラブホテルか、秘宝館か。行かざるを得ない。
日没が迫っていたが、岬の南端行きをやめて脇道に入る。

 細い林道を行く。
ここであっているのかという不安を鎮めるように看板がある。

いよいよあと少し

脇道を行くこと10分、ついに門が現れた。
門がこのスケールだとすると、涅槃城は一体!?
期待が膨らむ。


植木もきれいに整頓されている。


門の中をすすむとすばらしい風景が現れた。
水平線を背景に50メートルはあろうかという大仏が横たわって合掌している。



本殿の横を通る。残念ながら入れなかった。


ついに中心部に到着した。
100台以上は駐車できるほどに駐車場はとても広い。

先ほどの大仏の頭が見える。
より間近で見たいと階段をのぼっていくと
残念ながら大仏のある上部へあがる入口が閉鎖されている。
展示館などの施設も閉まっていた。
どうやら5時までだったようである。
ここまで来たのに残念である。


大仏のある丘から海を見ると絶景が広がっている。


奥に見えるのは開聞岳である。
これこそが涅槃の風景なのかもしれない。  


帰り道、まるで幽霊のように漁村の電柱にかかったLEDが光っている。


イルミネーションを手軽にしたLEDの罪は重い。(佐田岬)

2017年2月14日火曜日

緑のおばちゃん

どれも緑で少しずつ変えてくるのがにくい。 (長谷寺 桜井)

鮮魚を売った疲れ その2

近鉄電車に乗る。目の前のおばさんがスポーツ新聞を読んでいる。
隣の発泡スチロールからして鮮魚列車で乗って来たおばちゃんに違いない。
鮮魚列車のおばちゃんは前にも撮ったことがある。
港の女のコクがそのまま電車に乗ってるのだからたまらない。
http://keitata.blogspot.jp/2015/06/blog-post_31.html



届かない足と毛玉だらけの靴下。
そして、足の下には食べた後の弁当箱が置いてある。


新聞紙を布団にして寝た。完璧だ。  (布施)



2017年2月12日日曜日

ダウンとパーマ

発する言葉から察するに3人とも韓国から来たおばちゃんたち。
韓国で流行っているのだろうか。 (あべの筋)

2017年2月11日土曜日

お綱まつり

奈良県桜井市の市杵島(いちきしま)神社の早朝。
小さくて質素な神社にたくさんの男たちが集まっている。
ここが、男綱(おづな)と女綱(めづな)が合体するお祭り、
お綱まつりの女綱側の会場である。

神主がお祓いをしている。

なかには藁でできた綱がある。
形状からしてこれが男綱かと思ったがこちらが女綱であるとのこと。
その理由はあとでわかる。


神主が火をつけた後に祝詞を奏上する。



地区の代表たちが礼をする。



境内にいた人々は全員が建物の中へ入った。


中では宴会が行われている。


1時間ほどすると全員が出てきて、全員が綱を持ち境内をぐるぐると回り始めた。

女綱は神社を出発した。


綱は長く後続はまだ神社を出ていない。


女綱を担いで声を出しながら付近を練り歩く。重さは700kgほどあるらしい。

後ろの方は楽そうだ。
みんな酔っ払っていい顔をしている。


 田んぼに到着すると綱を広げた。


円の中に水を撒く。

田んぼを踏みぐにゃぐにゃにする。


そして順番に人を胴上げして


落とす。


泥相撲が始まった。




みんな泥だらけなのに楽しそうだ。
まるで子どものようである。


泥だらけになっても何度もやる。







行司もはめられて泥に埋められた。





途中、仕事の電話をしている若者もいる。



「あいつ、○○のとこの次男坊やな」とまず、若者がとっ捕まえられて
先に泥だらけにされた。
泥相撲はこの地区の若者の通過儀礼なのかもしれない。
緊張していた若者たちが相撲のあとはのびのびとして打ち解けた。



 相撲は終わり、また女綱を担ぐ。


 寒風吹きすさぶ中、女綱はゆく。



 大和川にかかる橋を渡って


ゴールの素盞嗚(すさのお)神社へ到着した。

女綱はぱかっと割られて、女らしくなった。



神社の向こうではまた泥相撲が行われていた。
江包地区の男綱チームたちである。


こちらもみんな子供みたいないい顔をしている。


相撲会場の横では巨大なタケノコのような男綱が横たわっていた。



男綱に男の子が乗りジャンプして遊んでいる
女の子も乗ろうとすると父親が慌てて止めた。



相撲が終わり、男綱をみんなが担ぐ。



男綱の方が女綱に比べて、太く短く凝縮されており、重量がありそうである。


ゴールはもうすぐ、ラストスパートだ。
声が大きくなる。




男綱が女綱に突っ込む。


ぐいぐいと押し込まれる。


ズッポリと入った。

見事にゴールだ。


合体した男綱と女綱は木に吊るされた。



そして、神主と地区の長は去っていった。

お綱まつりの由緒を最後に。
昔、大洪水があって上流の三輪から2人の神様が流がれ着かれた。江包は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大西は稲田姫(古事記でいう櫛稲田姫のこと)をお助けした。その後、毎年正月に結婚式をあげられることになったという伝えがある。古くからの田遊び祭りで、豊作をあらかじめ祝う儀式である。朝、各地区の神社から、江包は、男性の象徴を示す男綱を、大西は女綱を担ぎ出す。どちらも700キロ程もある大綱で、100メートル程度の尾綱がついている。途中慶事のあった家を祝ったり、田んぼで泥相撲を取ったりしながら綱の行列は昼前にやっと素盞鳴神社までたどりつく。女綱の方が先に素盞鳴神社に到着する。仲人役がまだ泥相撲をとっている男綱を呼び使いにいくが、7度半行き来があってやっと男綱は動き出し、おごそかに入舟の儀式(男綱と女綱の合体)がとりおこなわれる。国の重要無形民俗文化財に指定されている。

大阪の中心から1時間の場所に、きっと千年以上は続いているだろう土着的な祭りがずっと残っている。日本はまだまだ広い。観光客も少なくおすすめである。
(大西 江包, 桜井)