2014年12月28日日曜日

今年最後の忘年会

本日はピカスペースの忘年会である。
いくつか忘年会はあったけれど、これが本当に今年最後である。



夜が更ければ、変な人が増えて来る。
おむつをする大人たちが現れた。


おむつをしたままストーブの上に座り、尻を大やけどした佐竹くん。


ずっと寝ている襟巻きみたいな髪を持つ、長髪の男。


今年もいろいろありました。
今年もいろんな出会いがありました。

やっぱり最後の忘年会はここじゃないと、年を越した気にならない。
走馬灯のように次々と今年出会った人々が訪れ、挨拶を交わす。
まるで今年のダイジェストを見ているようだった。

みんな、ありがとう。 (新世界)

2014年12月27日土曜日

気持ちのよいほどペアルック

もう体型なんかも似ていました。 (上汐)

2014年12月25日木曜日

第二回おなら選手権

ついにこの時がやってきた。第二回おなら選手権大会。

第一回と同じMrs.トライアングルでの開催だ。
大会名を書いた紙も、「一」の上に横線を引いて「二」にしただけだ。
前回はバレンタインでの開催、今回はクリスマスに開催である。



司会および主催者はこの人、関西音楽界&アート会の奇才 水内義人。


オナラーはこの人、関西インディーロック界の雄、
オシリペンペンズの石井モタコ。前回は第3位である。



今回から初参戦。
同じく関西インディー音楽界を牽引するneco眠るのギタリスト森雄大


同じく初参戦、巴大樹。中津で「シカク」という本屋を営んでいる。


前回出場ながら一発もおならを出すことができなかったF氏。
今回は、いかに。


女性ながら今回初参戦。よっぴ。
第一回素人だらけのフリースタイルラップ大会優勝者である。



そして、女性ながらも連続参戦。前回優勝者の岡内ゆり。
石巻からこの日の為にやってきた。



そして、わたくし、前回準優勝の日下慶太。
今回はジェダイの戦士ならぬ屁ダイの戦士として参戦だ。





審査員は右から中村悠介(IN/SECTS) 辺口芳典(詩人)中林キララ(オシリペンペンズ)
竹内カロン (特別占いおなら審査員)と豪華な顔ぶれである。




スタートの合図と同時に、みな配給されたさつまいもを食べる。


腹部をさそったり、目を閉じて集中したりと、
みんなおならを出そうと一生懸命である。


石井モタコは雑誌をにおいながら屁を出そうとしている。
書店にいくとうんこをしたくなるという法則の応用だろう。


まずは動画を見てもらおう。



続いて石井モタコがもよおした。



続いてぼく。




割れんばかりの拍手である。臭い、音、ともによかった。
しかも、ブリーフを裏返してはくという技術点も加算された。
かなりの高得点だ。



その後はしばらくの膠着状態である。





その時、巴大樹が手をあげる。
しかし、すぐやめます!と放屁を取り消す。


フナショーは前回から通算してずっと屁が出ていない。



観客もしらけてきた。



また、巴大樹が手をあげた。


すばらしいおならだった。
音、においとも完璧だった。


審査を待つ私。

2点差で抜かれて。





残り2分でオナラは出ることもなく、そのまま巴大樹が優勝した。
巴大樹は普通のおならではぼくに勝つために、
おならのウェーブを2回我慢して、3回目のウェーブで放屁したのだ。
そのすばらしいオナラとオナラを我慢した勇気ある決断とに
拍手とおならを送ろうと思う。すばらしい大会であった。

ちなみに自身の敗因は、クリスマスという開催日のため
家族にずっと反対されており、参加のOKが出たのが前日であった。
なので、おならが臭くなる食べ物を食べる、大便を数日我慢する
などのコンディションの調整がうまくできなかった。
悔やまれるところである。
次回、家族の反対にあわないような普通の日に開催すれば、
優勝h

第1回おなら選手権はこちらから。
http://keitata.blogspot.jp/2014/02/blog-post_2546.html


(写真・動画提供 オットー)

2014年12月23日火曜日

全体重をかけるおっさん


大阪に戻る。
空港ではスーツケースが閉まらずにおっさんが全体重をかけている。



しまってほっと一息つく。

ぼくも今年最後の出張が終ってほっと一息。 (伊丹空港)

ジブリっぽい町



石仏のある臼杵の町外れから、中心街へ。
「おんせん県」と名乗る大分ならではのキャッチフレーズである。


臼杵の城下町へ。


小高い丘に細い路地がはりめぐされている。





ついついどこまでも歩いていきたくなってしまう小さな路地ばかり。


カーブミラーに瓦がついている。


歯科も江戸時代の町医者のような佇まいだ。
古い街並がほとんど現役で活躍していた。




子供の頭ほどのの大きな柑橘がなっていた。文旦だろうか。




この看板があるから、たくさんの子供に挨拶された。
しかしながら、こういうことを書いている当の本人、大人たちは挨拶してこない。




ぼくが昨年行ったパリとはかけ離れたパリ。





閉店してしまった美容室、パリ。



こちらはロンドンだろうか。






 田舎といえば、生徒と自転車とヘルメット。
しかし、いまやヘルメットにおしゃれの波が来ている。
真ん中の少年はその波に乗り遅れていたが。


まるで石仏さんが裁判を裁くかのようなこのポスター。


時間も迫ってきたので、臼杵を離れる。
石仏だけと思って臼杵にきたが、街並も非常によかった。
なんだか、ジブリっぽい。
宮崎駿の作品があと10作続けば、この町が舞台になっただろう。
城下町にありがちな、歴史的な街並はごく一部といったことはなく、
2キロ四方ぐらいが昔ながらの街並であり、
しかも、住民がまだそこできちんと生活を営んでいる。

大林宣彦監督はここで『なごり雪』という映画を撮ったそう。
映画人が愛するのがわかる、素敵な町であった。

日焼け中の仏

大分市街から20分、臼杵石仏へやってきた。



岩石をくりぬいた石仏は、大きさはさほどではないけれども、
寺の仏像にはない貫禄がある。
月日とともに風化してきた味と、岩の間から植物が生えていたり。
アフガニスタンのバーミヤンで見た石仏を思い出す。




足だけ残った石仏。




日焼けサロンにいるような石仏


こういうことらしい。



石仏前にある線香、ロウソク、マッチ。


鈴がマッチの捨て場所になっている。
いや、絶対おかしいでしょってぼくも捨てたあとに気づいたんだけれども。



うな重ならぬ、タチウオ重、
うなぎに似ておいしい・・・とはいえやっぱり
うなぎの方が脂が乗っていておいしいけども。  (深田 臼杵)