2014年10月4日土曜日

37歳の宮沢賢治とぼく

花巻が生んだスーパースター、宮沢賢治の記念館にやってきた。










中には賢治の原稿、写真、さらに賢治にまつわる様々なものが
展示してあるがいまいちパッとしない。
しかししかし、賢治の絵がすばらしい。
文学から、物理学、農学、地学、さらには絵画まで才能があったなんて。
自然の摂理をとことんまで突き詰めて絵を描いたらサイケデリックアートになった
という症状は、南方熊楠も同じだった。





 記念館の横には『注文の多い料理店』がある。

しかも猫が入っていく。これは期待大だ。




しかし、中はただのレストラン。

もしかして塩や酢をかけられるのではと期待したが、
客が注文されることなど一切ない。
せっかくなのでイーハトーフ定食を注文したがいまいちである。
期待を裏切られたのでいっそ客の側から注文をたくさんしてやろうかと思ったが、
お茶のおかわりだけにとどめておく。



記念館から道路を挟んで向かいにある宮沢賢治童話村へと足を運ぶ。



賢治の童話の世界が色毎につくられている。こちらは白の世界。



こちらは青の世界。
そこにはおばはん。手すりにぞうきんかけをする掃除の白いおばはん。
世界を台無しにするおばはん。


赤の世界からみた青の世界のおばはん。

このように宮沢賢治まわりのものはゆるかったが、
賢治そのものは素敵というべきか、さすがというべきか。
宮沢賢治という人並みはずれた感受性を持った人が、
花巻という日本で稀に見る美しい自然の中で育ったという
奇跡が彼の作品を生んだのだと思う。

賢治が大都市に生まれていたら敏感すぎるアンテナは
色々なものを拾いすぎてダメになったろう。
かといって並の自然では彼の感受性は
作品を生み出すまでのエネルギーを与えなかった
花巻という類い稀なる美しい場所と
鋭すぎた賢治の感受性の出会いが彼の作品となった。

と、37歳で世を去った賢治について37歳最後の日に思う。

0 件のコメント: