熊野最終日。
熊野神社へと参拝に出かける。
参道を行く二人。
右の女性が民宿を営む和美ちゃん
記事を読んでもらえばわかるのだが(クリックすると拡大)
彼女は東京に住んでいて、夏だけの期間限定で民宿を営んでいる。
震災後に思うことあり、このような生活をしている。
自分の信じる道を進み、即座に実行に移す彼女には頭が下がるばかり。
彼女以外にも、農業をしたり、美容室をしたり、
自家製野菜のみを使うレストランをしたり、
民宿を探している途中の夫婦がいたりと、都会を離れ、
熊野で暮らしている同世代の人々がいた。
それぞれの人に共通していたのは、みんな、世界各地を旅していたこと。
その旅で得た感覚で、旅で得た答えに従い、日本で生活していた。
その感覚、その答えはぼくもわかる。 ぼくも旅をした。
学生時代にアジアを陸路で横断した時に得た答え。
しかしその答えは、就職するからと捨ててしまった。
もし、ぼくがその答えのまま生きていたらと、
ひとつの自分の可能性を熊野でみたようで、
自分がその道に進まなかったことへの軽い後悔と、
自然の中でおおらかに暮らす人々への羨望を抱く。
熊野で見た古きよき日本と新しい日本のカタチ。
見たことのないものを見たいとばかりに世界を回ってきたけど、
まだまだ見ていない日本があると、改めて思う。3.11以降、特に。
今、新しい何かは日本から生まれつつあるのかもしれないな。