2017年11月28日火曜日

台湾と日本について考える

起床する。なかなか眠れなかった。


壁の上が開いていて、蚊が入ってきた。
何かのモーター音が1時間に1回ほど動いていた。
こんなハードな宿は学生時代のインド以来だ。


きょうは能盛興のみんなで展示を見に行くということでぼくもジョインする。
能盛興の持ってるこの車にみんなで乗ってく。



車の座席にはこのTシャツがかけられている。
黒箱とはブラックボックスという意味だ。
2014年、台湾政府が中国政府と結ぼうとした自由貿易協定が結ばれようとしていた。
その協定は中国から大量の人々と資本の流入を可能にするため、
台湾が大きく変わるおそれがあった。
それが、国民、財界へまったく内容を知らされることなく進められた。
それに反対した学生が国会を占拠した。
密室で行われたために「黒箱」ということばで批判された。
国民の声はきちんと届き、中国との接近を推進する政権は選挙で敗退した。
この一連の動きを「ひまわり学生運動」と言う。
社会運動が大きな力とならない日本とは大きな違いである。





他のみんなはバイクで移動。
なんだか青春映画の一コマのよう。
ぼくもあと20歳若かったらなあ



街の小さなギャラリーにでも行くと思っていたら、
会場は国立台湾歴史博物館というとても大きく立派な場所だった。
中に入ると、ホールですでにオープニングイベントが行われていた。
昨日、正興街で会った謝さんが歌っているではないか。



「挑戦者たち」というイベントタイトル。
台湾で社会運動に携わった人々のエキシビジョンである。
社会運動家たちが次々に紹介されていく。
教授だったり、政治家だったり、みんな立派な人々だ。

その後で、能盛興のバオバオの名前を呼ばれる。
バオバオは立ち上がり、拍手をされる。
能盛興の人々も社会を変革した挑戦者として表彰されていた。

セレモニーが終わり、実際の展示会場へ。
台湾の社会運動の歴史がこんな立体と共に展示されていた。
「台湾の社会運動家オールスター」といった感じだろうか。




こちらは反対運動をする原住民。
蘭嶼島という原住民の住む島が核廃棄物処理所が建設されるとのことで
強い反対運動が起こった。

台湾は社会運動が激しい。
清朝時代に「三年一小反、五年一大乱」。
つまり、3年に1度小さな反乱が起き、5年に1度大きな大乱が起きると言われていた。
日本の植民地時代も「霧社事件」という大きな事件が起きている。
明、清、日本、国民党と支配者層は入れ換われど、いつも抗議運動があった。

現代の台湾に住む能盛興工場の若者たちもラディカルな活動家であった。
しかし、性格はとても明るく優しく、社会を変えなくてはいけないという使命感と
よりよい社会を作ろうという希望に燃えていた。
だから、みんなも能盛興工場の若者たちを表彰するほどに受け容れられている。
日本では運動家たちは、革マルだの赤だの左翼だのというレッテルをすぐに貼られる。
事実、ぼくが大学時代にいた人々もそうだった。
しかし、台湾は自然体だった。

台湾は2つの中国の問題があるからより、国民が政治に関心がある。
アートも音楽も政治や社会に関わりの強い作品が多い。
政府もデザインやアートの力を大切にし、国をより発展させようと考えている。
その点、日本は政治と文化の断絶は大きい。
政治と文化が近ければいいということではないが、
「カラマーゾフの兄弟」「失われた時を求めて」「戦争と平和」
「百年の孤独」「精霊たちの家」「ヴァインランド」・・・・・・・
ぼくが大好きな文学の名作はどれも社会のうねりをきちんと捉えたものだ。
だから、歴史に残っている。
果たして、日本にそんな文学があるのだろうか。
政治と文化の断絶はどこまで続くのか、
いや、あえて繋がらないようにさせれているのか。




そんなこんなの我が母国である。
他の展示場では台湾の歴史が展示されており、
石器時代から現代までが立体模型で展示されている。
日本統治時代も展示されている。

日本の官憲が掃除のおっさんたちを監視しているようである。







このように台湾にも多大な負担をさせていた太平洋戦争である。

果たして、日本の植民地時代はどうだったのか。
何人かに話をきいた。

抑圧もあり、厳しい統制があったが、日本は台湾に近代化を持ち込んだ。
マラリアを撲滅し、洪水の多い場所にダムを作り、
農業の生産高が上がり、人々は豊かになった。それは評価できると思う。

これが一般的な意見であった。
そして、もう1人の意見。

日本はひどいことをしたと学校で教わった。
大人になって調べてみると、実は、日本の後に台湾を統治した
国民党政府(現政府)の方がひどかった。
腐敗が多く、たくさんの知識層を殺した。
この事件は「白色恐怖(白色テロ)」と名付けられている。

日本人のぼくに気を遣って発言していたのかもしれないけど、
まあ、日本の感想はこんな感じだった。
なにはともあれ、台湾人は日本人に優しい。

(台南 台湾)

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