2014年6月8日日曜日

パリ二日目


時差ボケ炸裂中で4時に目が覚めるというツッコミが入る。

付近を散歩する。路上で寝ている人がいる。シーツがおしゃれで余裕すら感じる。
よく見ると3人で寝ている。家族だろうか。


寝ているのはアラブ系のようだ。
ホテルの付近のモンマルトル地区はあまり柄がよろしくないようだ。
そういったことは大歓迎である。 (Anver, 9区)





勢いのままシャンゼリゼ通りへ。
看板の矢印の向きが逆なのでわかりづらい。↓は日本でいうところ↑なのである.。
(Champs-Elysees, 8区)


地下道を出てすぐに凱旋門!朝早いので人もほとんどいない。
しかし頭にガーゼをはっているおっさんの頭のように一部修理中である。
(Champs-Elysees, 8区)




凱旋門の反対側は「シャンゼリゼ通り」。
「おお、シャンゼリゼ」を聞きながら歩いてみた。
しかし、朝早すぎて店が開いておらず、人通りも少なく、
町を歩く 心軽いが 誰かにあえる気のしない道だった。
シャンゼリゼ通りのカフェで朝食をとる。(Champs-Elysees, 8区)





 晴れてきたので再び凱旋門へ。
何のための凱旋かというと1804年ナポレオンがロシア・オーストリア連合との
『アウステルリッツの戦い』に勝ったための凱旋だった。
日本でいうと、日露戦争で日本海海戦に勝った記念に作らせるようなものか。
日本ではできない。スケールが違いすぎる。
前日「北京はパリは近い」と書いたが、それはまさにスケールの大きさが近いのである。
北京もパリもとんでもない建物がいくつもある。
それは、数百年に渡って世界中から富をせしめ、
たくさんの民を犠牲にしてきた結果のもの。

ナポレオンが1806年に建設を命じてから完成したのは1836年。
この時ナポレオンはこの世に亡く、門をくぐることはなかった。



ぼくも、凱旋した気分で写真を撮ってもらう。

中国のおばはんは世界中どこでもパワフルだ。(あ、大阪のおばはんも)


自分撮りようの一脚のようなアイテムを使って撮影する中国系のおばちゃん。
中国にこれが売っているのだろうか。
以前、造幣局の桜の通り抜けで記念撮影する人々を見てわかったことだが、
アジア系は自分撮りを好む傾向にある。



こちらの二人姉妹はチェキで写真を撮っている。
父親はいかつい一眼デジタルで写真を撮っていた。






眠気が襲ってきたのでホテルに戻る途中に寝てる人。 (Pigalle,9区)

昼寝から起きて、若者たちが集うといわれているパリのおしゃれスポットへ。
その駅で寝てる人。 (Saint-German-des-Pres,5区)

眠気覚ましに、コーヒーを一杯。
この『Cafe de Flor』の2階にはサルトルが住んでいた。
もちろん、サルトルも常連だった。
コーヒーを飲んだ後
『嘔吐』し『実存』にめざめ『ルサンチマン』になったりはしなかった。
(Saint-German-des-Pres,5区)

再びホテルへ戻る、寝てる人。 (Pigalle 9区)

モンマルトルの丘でパリの日没を眺める。
日没っていっても、22時頃なので、ホテルに帰る。
(Sacre Coer,9区)

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