2014年6月23日月曜日

モネの眼

オランジェリー美術館へやってきた。
目当てはこれ「Les Nympheas」 モネの「睡蓮」

中で写真撮影禁止だったので、以下はネットから拾った写真を使用。


楕円形の部屋の4面に睡蓮の絵が飾ってある。
その部屋が2つある。




睡蓮の絵がぐるりと囲んでいる。





ストレスの多いパリ市民がリラックスできるようにとのモネの思いから作られた。
ずっと見ていると確かに気持ちが穏やかになる。

睡蓮が浮かんだ池のそばを散歩しているような気になる。
照明が自然光だけなのがまたよい。



モネは白内障を患い、晩年はほとんど眼が見えなかった。
なので晩年は、抽象的な表現が多いという。

イスラム細密画師が主人公の小説、オルハン・パムクの『私の名は赤』を思い出した。

盲目は怖れるにあたらず、それは生涯を神の美に捧げた細密画師に、神が最後に与える幸福なのだそうな。細密画とは神が世界をどのようにご覧になられるかを探求することである、よってその比類ない情景はただ、厳しい切磋琢磨によって目を酷使し、身も心もすり切れた末に辿り着く盲目の果てにこそ想起されるものなのだ。つまり、神がご覧になる世界は、唯一、めしいた細密画師の記憶からのみ窺えるというのです。だから絵師は生涯にわたって絵に手を慣らしておかなければなりません。年老いてその境地へ至ったとき—すなわち盲目と記憶の中で、眼前に神の情景が現れたとき手が1人でに神々しいその絵を描けるように。

ヘラートやシラーズの名人絵師にあっては、画業に専心し、その生涯の終りに光を失うことは、その絵師の絶えざる研鑽の結果であるのみならず、その偉大な名人の努力と技に対して神がお贈りになった恩寵とも見なされ、祝福された。  



中には自分で目に針をさして失明した絵師もいた。
それほどみんな神のビジョンを見たかったのだ。
時代も宗教違えど、モネも神の恩寵を受け、
神のヴィジョンを見た画家であったと作品を見て思う。 (Tuileries)

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