2012年9月8日土曜日
川遊ぶ
早朝、家族を宿に残し、男3人は少年のように熊野川へと釣りに行く。
透き通る川にはたくさんの鮎が体を翻し身を光らせる。
時折大きな鯉が目の前を泳ぎ過ぎる。
しかし、我々の餌はとことん無視。釣れるのはこんな小さなものばかり。
午後からは川湯温泉へ。
そこは河原を掘るとお湯が勝手に湧き出す。湯の温度は熱いので川の水を引き入れて適温にする。まるで油田を掘り当てたような気分になるお得な温泉。
写真は、川で川の字になる友だちとその子供たち。
この後、宿に帰り、ぼくは鶏をしめるという体験をさせてもらう。
宿のとなりが養鶏所で、鶏が増えすぎて処分しなければならないので、
手伝わせてもらった。
鶏の両足をまとめて左手で持つ。
それをそのまま地面に寝かせる。
右手の鉈を振り落とし、鶏の首を切る。
鉈の切れ味が悪いのと、ぼくが慣れていないのとで、鶏の首がなかなか落ちない。
10回ぐらい、まるで狂気の殺人犯のように振り落とすと、なんとか、首が落ちた。
血を抜くために、それをさかさまにしてしばらくしておく。
しかし、首が切れても鶏は動く。ぼくは動いた鶏の返り血を浴びる。
血が抜けた後、足を切り落とす。
そして、羽を一本一本むしる。これがとても面倒くさい
羽がすべて抜けて丸裸になると、それをさばく。
もも、むね、ささみ、手羽先と部位を分解する。
内臓をとりだす。ココロ、レバー、 ぽんじり、胃袋、砂肝。
砂肝は半分に割ると、砂が詰まっている。 (だから砂肝というのだね)
砂を丁寧に洗うと、焼き鳥屋でよくみた形が現れた。
それぞれを七輪で炙って食う。
グロテスクなことをしたので食欲がなくなりはしないかと危惧していたが
そんなことはなく。魚をさばいたときの気持ちと近いだろうか。
生きていたものを分解しているという感覚。
卵を産む鶏なので食用ではなく肉は少なく固かったが、
味はそぼくでとてもおいしかった。
もうこれで今後鶏を食べ残しはしない・・・はず。
命のよい勉強だった。