2014年7月12日土曜日

祭りの生死


大阪三大夏祭りの1つ、生玉神社の夏祭りへ。
近くに住んでいるもので、長女がここで七五三をし、
次女がお宮参りをし、縁の深い神社である。
まだ夏祭りには行ったことはなかった。
久しぶりに一眼レフを持って出かけた。

生玉神社は紀元前711年〜585年の創建とされている。大阪最古の神社である。
元々は大坂城付近に神社があったが、
秀吉が大坂城を築城する際、今の場所(現大阪市天王寺区)に神社を移した。
そのご神体を一日だけ元の大に移動させるという神事が今年復活した。
70年ぶりに、大阪城と生玉神社間を神輿が移動するのである。

そんなめでたい年の祭りだからか境内は満員電車のような状況である。
ギャラリーは場所取りの醜い争いを繰り広げている。
一方で祭りの参加者たちは70年ぶりの神事を喜びつつも、
無事成功させなくてはいけないという緊張感が漂っている。




メインイベント1 獅子舞が終了。

メインイベント2 金神輿が登場する。



境内を暴れ回って退出する。


メインイベント3 枕太鼓

神輿の真ん中に置かれた太鼓を6人が囲み、リズムを合わせて叩く。


猛スピードで神社を移動し、



神輿は倒れる。




神輿は倒される。





何度も何度も倒される



しかし、太鼓は同じリズムでずっと叩かれている。
叩き手の左手は白い縄で括り付けられ、
下半身ははジェットコースターのベルトのように固定されている。
どれだけ倒されようと、
同じように叩き続けなくてはならないというルールがあるかのように

明らかに縦縞の大人たちが叩き手の若者たちをいじめている。
若者たちの通過儀礼なのだろう。
縦縞の大人たちも若かりし頃は転がされたのだろう。

高い帽子や、太鼓を叩くポーズ、リズム、
そして、倒しても叩き続けるルールなど、祭りは「どうして?」と説明できない
おかしな決まりごとが多い。先日話をしたしりあがり寿さんの
言葉を借りると「因果の糸が完全に切れている」。
どうして俵の中に入れられて、水をかけられながらホラ貝を
吹かなくてはいけないのか(水止舞
どうして墓に出たナメクジをみんなで見つめるのか(ナメクジ祭り)などなど。
そこがおもしろくもあり、祭りに惹かれる理由なのである。
以下、動画があるのでその因果の切れっぷりをぜひ感じていただきたい。

あと、もう1つ書いておきたいこと。

行列は70年ぶりに復活した。
つまり、70年前の1944年に数百年の行事が止まってしまったのだ。
原因は、太平洋戦争だ。
大阪大空襲が境内も宝物も焼き払ってしまったのだ。
あの戦争、あの敗戦はここに限らず
日本にあったたくさんの伝統を壊してしまった。
大阪は特に、四天王寺、生玉神社、大坂城など、残っていたら
「大阪の歴史地区」として世界遺産に登録されていただろう
地域がことごとく破壊されている。
あの戦争は1000年を1年で壊した。
戦争は、今生きる人を殺すだけでなく、
過去に生きていた人も殺すのである。
そこまでして得るものとは何なのだろうか。





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