2014年5月13日火曜日

西野さんに捧ぐ

仕事仲間の西野さんが先月亡くなった。
売れっ子でいつも忙しくしていた西野さんだったので、
訃報をきいたとき、過労か何かと思った。
死因は、スノーボードでの遭難だった。やりきれない思いだった。
西野さんはスノボが上手でよく1人で雪山に入って滑っていた。
どうして、あんないい人を逝かせてしまうのか、
もっと逝くべき人間がいるじゃないか、神を呪った。


西野さんは早くからこのブログを読んでくれていて、いつも応援してくれていた。
今でも天国から見てくれているだろうからここに書く。
でも、書くことはとても悩んだ。
書くということで西野さんを認めてしまうようになってしまうのと、
西野さんを追悼する文章を書くことが、
なんだか「自分っていい奴でしょ」と主張している偽善のようで。
でも、書くことで、少しでも西野さんという素敵な人がいたということを多くの人にも
わかってもらえると思うから書く。

西野さんはエディター。映像を編集する人である。
ぼくはカプコンの仕事はいつも小林達行さんという監督にお願いしていて、
小林さんはいつも西野さんと仕事をしていた。
なので、カプコンの仕事をしているときは一緒だった。

西野さんはとてもクラフトマンシップのある人だった。
仕事の立場上、発注側の広告代理店の方が上なので
エディターは黙々と指示にしたがうということが多いのだが、
西野さんはちがうというときはちがうというし、
とんちんかんな意見も一度、試してみてくれて、
「どう、おれのいうとうりだったでしょ?」と教えてくれる人だった。
仕事中も仕事が終ってもだいたいゲームをするか、無駄話をしていて
仮編集が終わって本編集に移動するのがいつも悲しかった。
家にも一度遊びにきてくれたことがあった。

ちょうど亡くなる数日前にやりとりをしていて、
「5〜6月に大阪に帰るから一緒に飲みにいきましょうね。
 西成とか新世界に行きたいです、茨木台の限界集落にも興味があります」
とメッセージをもらっていた。でも、亡くなってしまった。

西野さんのところにいきたかったけどラップ選手権と重なって、
明らか西野さんの方が大事なんだけど、ぼくが取り仕切っていたもので
「日下さんがきてくれないのはさみしいけれど、そっちもアホやからいいですよ。
 でも、そのかわり今度2人で飲みにいきましょう」
と西野さんが言ってくれたので、約束は果たさなくてはならない。

亡くなってから1ヶ月と少し経った日に、西野さんが大阪にくるはずの頃に、
2人で待ち合わせをしていくことになった。

花園町から下りて歩いていると西野さんの人のよさそうで
甲高い声が聞こえてきた。
「やっぱり大阪はええですねえ」
それから玉出に入った。
「きっついすねー 目が痛いっすわ」



難波屋で飲んだ。難波屋はいいライブをしていて西野さんも楽しんでた。
「えっ、そんなんでええんですか!?安いですね」と驚いていた。





その後は、ぼくらのアジト、ピカスペースへ。
西野さんとだらだら話した。
陰謀の話とか、映画の話、タランティーノとか、ロドリゲスとか。



西野さんをピカスペースに残して、ぼくは先に帰った。
西野さんはまだピカスペースで飲んでいる。ここが気に入ったようだ。

今後は茨木台の限界集落いきましょうか、西野さん。

1 件のコメント:

小林達行 さんのコメント...

飲みにいってくれて、ありがとう。