仏さんの下のこの光景、どこかで見たことがある!と脳に衝撃。
この光景でわかった。バーミヤンだ。
中華料理店ではなくてアフガニスタンのバーミヤン。
日本では天竺、ガンダーラと言われた場所。
そう、『愛の国ガンダーラ』三蔵法師たちはここを目指した。
大仏の下にいるのは現地人に扮していた自身。
アフガニスタンの入国審査は当時ややこしく
「なぜアフガニスタンに行くのか?」という理由が
しっかりとしていなければ入れなかった。
当時は内戦中で「観光」といった理由は通用されるわけはなく、
かといってビジネスの入国もありえない。
変にごまかすとジャーナリストやスパイと疑われ身に危険が迫る。
「私は仏教徒であり、バーミヤンの大仏に巡礼に行くためだ」と言うと
ビザがもらえるという情報が国境の街ペシャワールの旅人の間で回っていた。
自身もそう答えると、認められた。まあ、あながち間違いではない。
宗教的敬虔さは宗教が違えども認められるのである。
逆に、無宗教は異教徒よりも悪とされる。
偶像崇拝を認めないイスラム教徒が11世紀に顔を削った。
胸元の銃痕は真新しく、最近できたような印象をうけた。
ロケットランチャーの不発弾まである。
タリバーンが大仏に打ち込もうとしたのだろうか。
大量の注射針もあった。
傷の手当をするためだろうか、ここはヘロインの世界的産地。
ただの享楽のためのドラッグとして使用されたのだろうか。
ここは激しい戦場だった。
岩山に無数の穴があり、武器庫に利用されたり、
戦闘時、身を隠すには好都合だったのである。
確実に世界遺産であろうが、ぼくと共に旅した友人以外、誰もいない。
大仏はこんな光景を見ないために自ら顔をなくしたようであった。
ぼくたちがここを旅した2ヶ月後、
タリバーンが石仏を破壊した。今は何も残っていない。
アフガニスタンの窮状を『カンダハール』という映画で伝えた
イランの映画監督モフセン・マフマルバルはこう伝える。
「私は、ヘラートの町の外れで、二万人もの男女や子供が、飢えで死んでいくのを目の当たりにした。彼らはもはや歩く気力もなく、皆が地面に倒れて、ただ死を待つだけだった。この大量死の原因は、アフガニスタンの最近の旱魃(かんばつ)である。同じ日に、国連の難民高等弁務官である日本人女性(緒方貞子)もこの二万人のもとを訪れ、世界は彼らの為に手を尽くすと約束した。三ヵ月後、この女性がアフガニスタンで餓死に直面している人々の数は百万人だと言うのを私は聞いた。 ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ。」
アフガニスタンの記憶はトラウマのように残っている。
戦争に行った兵士がPTSDで悩むように
戦争中の国に行った自身にも軽症ながらそれがあった。
帰国後すぐは辛かった。
今は随分おさまったが、働いているとごくたまにうずく。
アフガニスタンみたいな国があるのにおれはいったい何をしてるんだ、と。
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