2016年3月4日金曜日

「作品」と「報告」

富山からはじめての北陸新幹線に乗る。

車窓からは立山連峰が見える。


富山から大宮で東北新幹線に乗り換えて仙台着。

もう移動しすぎて訳がわからない。
この日は「せんだいクリエイティブ・カフェ」というイベントで
トークセッションがあった。
瀬尾夏美さんというアーティストと「ことば」をテーマに講演したり、対談したり。





瀬尾さんの持つ言葉はコピーライターとは違った
全く異質の言葉であった。


瀬尾さんは震災後に東京から陸前高田に移り住み、
ずっと言葉でで被災地を見つめてきた。
今もまだ被災地に残っている。

元々絵描きであったが被災地のあまりの光景に
全然絵が描けなくってしまって、言葉で整理をはじめた。
時を同じくして、映像を撮るもののそれをどうしていいかわからない
映像作家の小森さんと出会う。
二人は互いの足りないところを補うように
彼女たちは言葉と映像を組み合わせて被災地を描いてゆく。


絵描きだからであろう。
その言葉はすぐに視覚的なイメージを喚び起こす。
同じく絵描きながら小説を書いた『アフリカの日々』の
イサク・ディネセンのようである。
自分は全くもっていない言葉の感覚と引き出し。
センスも表現も違うけれども、二人とも共通していたのは、
ただただその場所にある言葉に耳を傾けるということだった。

この日、いちばん学んだこと。

瀬尾さんは震災後すぐに被災地に足を運び、
東京に戻っては報告会にてその状況を「報告」していた。
はじめはみんな真摯にきいていたが、だんだんとそれは伝わらなくなっていく。
「報告」では伝わらない。
それはより拡大解釈をすると
テレビや新聞の「ニュース」では伝わらない場合もあるということだ。

彼女はより伝えるために「作品」に辿り着いた。
言葉と映像という「作品」に。

ぼくたちは女川をポスターという
「作品」で伝えたということなのかもしれない。

「報告」では伝わらないことを「作品」にして伝える。
それが「作品」を作る技術といくばくかの才能を
持つものの使命なのかもしれない。

瀬尾さんは数十年単位で被災地を見つめていくつもりだ。
ぼくたちも瀬尾さんの作品を数十年単位で見つめよう。

『波の下、土の上』(この言葉のセンス!)
この映像作品をぜひ見てほしい。

工藤拓也さん、素敵なキュレーションをありがとう。

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