2012年4月9日月曜日

783日ぶりの出勤



満開の桜と、聖徳太子が建て、秀吉が建て直した重要文化財の仏塔をみながら出勤。
そう、今日は約2年ぶりの通勤。
「ネフローゼ症候群」なる腎臓の病気でずっと休んでいて、ようやく今日から出勤なのである。
病気は完治してないものの、ずいぶんよくはなってきたので、条件付きで働けるようになった。
とはいえ「わあ、おめでとう!」「よくここまできたな」とのことばはまだ早く。
1ヶ月、様子をみて、それで問題なければ無事復職。問題があればまた自宅療養。
今は、ならし保育ならぬ、ならし労働期間。お試し期間。
大丈夫だとは思っているが若干の不安も残っていて、手放しに喜べないのが正直なところ。
とはいえ、気持ちは高ぶっている。
働けるうれしさというよりも、何か新しいことが始まることへの高揚感というべきか。
この2年間、さぞかし大変な闘病生活を、と思われるかもしれないが、そんなことはなく。
入院中の1ヶ月は確かに「闘病生活」だったが、
それ以降はどこか「思病生活」といえばいいだろうか、病気を気にするぐらいで、
痛む、気分が悪い、といったことは特にない。
ただ、再発の可能性が高い病気なので、
減塩の食事と、身体を疲れさせないように、風邪を引かぬようにと、
気を遣い、自然と老人のような規則正しい生活を送っていた。
スポーツ、旅行、夜遊びなどは難しく、ゲームぐらいが許される遊び。
その残された数少ない遊びも、
入院中に一日中してとてつもない自己嫌悪に襲われて以来、ほとんどやっていない。
誰かと遊んでるときも、心のどこかがいつも疼いていた。
「働いてないのに、おれ、こんなことしててええんか」という気持ちが
ケータイのように肌身離さずつきまとってきた。
なので、ひたすら、本を読み、映画をみて、何かを書き、何かを撮り、
語学を学び、子を育てていた。正直、あまり遊んでない。
いや、遊べなかった。自分は器の小さな生真面目な人間だった。
器の大きな人間ならば、こういう場合に何も気にせず悠々と遊ぶと思うのである。
この2年間、 何かをつくるために一生懸命準備しつつ、何かをつくってた。
広告なのか、写真なのか、小説なのか、
もう自分で何が作りたいかよくわからないのだけれども、(いや、もうすべてつくりたい)。
何かをつくるために必死に勉強していた。
「思考にも、耕す時と収穫する時がある」
というウィトゲンシュタインの言葉を借りると、
この2年はものすごく耕していた。さて、これから収穫。
相当耕したから、大豊作だと思うのだけれども。
2年間、本当にいろいろあった。
病気になって、子供が生まれて、妹が死んで、地震があって、と。
で、否応無しに生死の間近まで連れていかれた。
首根っこつかまれて、お前もどうせ死ぬのだから、目を凝らしてちゃんとみとけと、
何か大きな存在が手を下していたようだった。
そして、思った。人間本当にいつか死ぬ。明日死ぬように生きなくては、と。
S・ジョブスはじめ、様々な人がよく口にするありふれた言葉だけれども、
それを、身をもって感じた。
さらに、病院に入院しているおっさんたちをみて思った。
人間はいつか死ぬ。さらに、人間は死ぬギリギリまで健やかに生きるわけではない。
だんだん衰えながら死んでいく。
身体が健康で、体力もあって、頭がフル回転して、なんて時期はとても短い。
なので、精一杯生きなければ。
やりたいことをやって死ななければ、やり残したことなく死ななければと。
あと、もうひとつ思った事。
それは、書くことが自分の使命であるということ。
もっと才能があって恵まれている人は五万といるけれども
ぼくは何かを書いたり、撮ったりという能力が人よりは少し恵まれている。
もし、さぼっていると、それは世の中の損失になる。
そう思ってると、あっ、書かなくては、と思う訳である。
かなりおこがましいけど、まあ、直感的にそう思ったわけである。
あと、書いていないと、なんだか胸が苦しくなって気分が悪くなるのである。
才能は人それぞれで、
絵を描く、音楽をつくる、料理がうまい、話すのがうまい・・・
もうなんでも、少しの才能があればいい。
それぞれの人がその才能を世の中に咲かせたら、
その人も世の中もちょっと幸せになる。
それがたくさん集まったら大きな幸せになる。
だから、みんな自分のできることをそれぞれして、
世の中をよくしていくのがいいのではないかと、思ったというか、悟った。
病気が色々気づかせてくれた。
それを支えてくれた家族と人々にほんとに感謝している。
問題は、働きはじめて、仕事に追われて、この気持ちを忘れてしまう事。
だから、忘れてたら、誰か言ってください。「お前こんなこと書いてたぞ」と。