今日は、青森市のねぶた祭り。ね「ぷ」たではなくね「ぶ」たである。
今までの祭りのどの道よりも広く7車線の道を悠々と使う。
まるで軍事パレードのようである。
太鼓を7台置いても余裕がある幅。
ここのねぶたはワイドで立体感がある。
弘前と八戸は町ごとにねぷたや山車を作っていたが、
ここ青森は企業がねぶたを出しているのも特徴である。
いま、一緒に仕事をしている青森のデザイナー和久さんと合流。
ねぶたの行列に入れてもらう。
青森市のねぶたは浴衣さえ揃えたら部外者でも入ることができるのが特徴。
ねぶたの衣装一式は青森出身の会社の後輩のKくんの実家から借り受けた。
踊る人を「跳人(はねと)」といい、
「ラッセラー」の掛け声にあわせて大きくスキップを踏むように跳ねる。
何度も何度も跳ねる。ふくらはぎが痛い。
激しい跳人はアキレス腱を切るほどだそう。
子どもに跳人とつける青森人も多い。とかいう話は聞いたことはない。
今まで何度も青森市に来たが道の真ん中から見る青森の風景は今までとは全然違う。
大通りの真ん中を歩くというのがこんなに気持ちがいいものだとは。
祭りのあとは、本当に祭りのあとの寂しさが残る。
風俗店の無料案内所はこのぼりを重石をにして観賞していたようである。
まだねぶたが名残惜しいので車庫に戻るねぶたを見にいく。
ここはちょうど車庫の前にある橋の下。
ねぶたの高さは橋桁ギリギリである。
青森、弘前、八戸、五所川原、すべてのねぶたや山車は、
道路状況に合わせて作られていた。
精根尽き果てたおじさん。
ぼくも5日連続は流石に疲れた。
8月頭の青森はこれでもかといわんばかりに祭りがあった。
短い夏は太く楽しめとばかりに。
北国の人は暗くて物静かで我慢強いという印象があるけれども、
明るく激しく乱暴だった。
それは関西の祭りとは違うものであり、
より粗野で力強く、直接的であった。
関西の祭りは寺社仏閣にひもづき、
御神体の移動を神輿で派手に
演出するといったものがだいたいなのであるが、
八戸の三社大祭は確かに神社の祭りであった。
しかし、ねぶたの御神体はなんなのだ。どこの神社の祭りでもない。
梅原猛はねぶたを縄文的と称したけれども、
縄文なのか、なんなのか。
確かに縄文遺跡はたくさんあるけれども。
北に行った力がそのまま北海道を渡れず、
本性の北端で溜まって濃縮されたかのような独特さ。
まだ青森の核心に軽く触ったばかりである。
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