2019年1月26日土曜日

主よ、海があまりに碧いのです

長崎、外海(そとめ)のキリシタンの出津教会へ。映画『沈黙』に衝撃を受け、続けて遠藤周作の原作を読んだ。この物語の舞台をぜひ見ておきたかったのだ。


教会の中は質素なつくりになっている。

机の中にはたくさんの本がある。聖書や賛美歌が載った本だった。ここは明治以降、キリスト教が解禁されたのち、ここにやってきたフランス人のド・ロ神父により建てられた。

この地域は当時、非常に貧しかったそうだ。陸の孤島と言われるほどに、周りは山に囲まれ平地はほとんどない。耕作は難しかっただろう。海には面しているが外海という名前の通り、荒々しい外海に面している漁に出るのは難しかったそうだ。

過去の弾圧の歴史と、貧しい人々を救おうという一心からか、ド・ロ神父は施設を建てた。救助院も含め現在の価値で4億円の私財を投げ打って建設したという。本国のカトリック組織の金銭的援助はほとんどなかったという。

隠れキリシタンだった人々は、今はもう堂々と教会を訪れている。
しかし、400年前とかわらず、教会を訪れずにまだこっそりと祈りを続ける人々も少なくはないそうだ。




美しい小道を歩く。
ひっそりとあるマリア像。ここはまるで天国のような庭園だった。

歩くとひっつき虫がたくさんついた。まるで茨の道を歩いたよう。

道を抜けると教会に付随する救助院がある。ここでは織物、醤油、そうめん、マカロニ、パンなどをつくり、貧しい人々が自活できるような施設を作った。教会も救助院もすべてド・ロ神父の私財による。


これが美しい外海の海岸線だ。
映画「沈黙」の磔のシーンを思い出す。



海を眺める高台に石碑がある。「人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです」と刻まれている。

石碑の近くにある遠藤周作文学館へ。





閉館間際で時間がなかった。さっと回ったが金言がたくさんある。

遠藤種作の書斎の写真。デスクが汚くても名作が書けるのかと、デスクが汚いぼくはほっとした。

遠藤先生は遺言でこの2冊を棺に入れて欲しいと。ぼくもこの2冊はすでに読んでいた。
「沈黙」は最近読んだが「深い河」は覚えてない。また読み直さなくては。


記念館から出るとまるで神の恩寵のような夕日が見える。遠藤周作記念館自体が神の恩寵のような時間が流れていた。

(外海 長崎)

1 件のコメント:

もちこ さんのコメント...

さっそくTwitterから飛んで、ブログ読ませて頂きました。「人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです」この言葉も深いですね。フランク・マーシャル監督の"生きてこそ"でも思ったのですが、苦境な時でも目に写るものは美しく尊大だったりするのが切ないやら救われるやら……。と思ってしまう。修学旅行長崎でしたが、こう言う場所の方が今の自分なら行きたいですね。夕日のお写真綺麗ですね。