2013年7月15日月曜日
開かれた参加性
4祭3日のお祭りウィークエンド。最後は近所の小さな神社のお祭りに。
地元の人による地元の人のための小さな祭り。
ボーダーのおばはんのキレがずばぬけていた。
マツリゴト(三宅洋平選挙フェス)→フェス(FREEDOMMUNE)→
祭り(奇祭・水止舞)→祭り(地元の祭り)
この三連休で感じた事。
「9から10」より「0から1」へ
普段何かをしている人がそその完成度をより高めて生まれる力よりも
普段なにもしていない人が何かをして生まれる力にに今、関心が強くある。
9を10に持っていくことができる人は限られている。
それが10人いるとすると 10× 10=100
しかし、0から1にできる人は星の数ほどいる。
100人はもちろん、1000人にも、10000人にもなる。
マツリゴトにおいて言うと、政治家は限られている。
しかし、普段一切政治的活動をしていない人が、少しだけ政治的活動をする。
そうすることで、政治はぐっとよくなる。
マツリにおいていうと、普段、パフォーマンス、表現活動などを何もしていない人が、
何かをする。それは完成度がどうであれ、その集合は大きな力となる。
事実、セルフ祭はその力が祭りの大きな力となっている。
万博のTAIYO33OSAKAの1000人太鼓もそうだった。
楽器を演奏できない1000人以上の人が打ち鳴らす力は
ものすごいものであった。
開放された参加性が生む力。
BOA DRUM 91 は
参加性は91と開放されつつ、
そのエネルギーをある方向へと導く力が秀でていた。
だから、参加性もありつつ、完成度の高いものとなっていた。
つまり、参加性が強く、しかも、質が高いととんでもないものになる。
さらに、もう1つ。
祭りに行くたびにいつも思うのだが、
普通の人が祭りのときだけヒーローになるのがとても好きなのである。
1年でその日だけ、みんながかっこよく、観光客から写真を撮られ、
メディアが取材に来て、家族総出で応援する。
BOADRUMもそう。
もちろん、普段からバリバリと活躍している人もいるけれども、
アマチュアバンドでやっていたり、バンドをやめていたけど久々に叩く人もいる。
この場では数千人の観客に囲まれ、91人全員がスターになる。
政治に参加すること、表現に参加したり、祭りに参加したり
普段は脚光を浴びない人がそれによって脚光を浴びる。
その光がその人にさらなる力を与える。普段とは違う面を照らし出す。
参加することが生む大きな力を考えながら
セルフ祭はじめ様々なものをこしらえていきたい。