名古屋から米原あたりまで手が下がることはなかった。
2012年6月30日土曜日
2012年6月29日金曜日
大学は大きなものを学ぶところ
今日は中央大学で講義。
商学部の飯田ゼミにお世話になっていて今年で3回目の講義であった。

『ぼくがこの講義を聴いていたら今頃スターだったのに』
というのがこの講義のタイトル。 寝てばかりいた学生生活を振り返り、
もっとああしてたらよかった、こうしてたらよかった、ということを丁寧に教える。

後半は課題「自分のCM」を添削。

講義の後は飲み会へ。
二十歳のみんなはビールで、下戸な私はひとりウーロン茶で乾杯。
講義で築いた威厳は崩れ去る。
商学部の飯田ゼミにお世話になっていて今年で3回目の講義であった。
『ぼくがこの講義を聴いていたら今頃スターだったのに』
というのがこの講義のタイトル。 寝てばかりいた学生生活を振り返り、
もっとああしてたらよかった、こうしてたらよかった、ということを丁寧に教える。
講義終了。
2限連続の長時間講義ながら、みんな熱心な顔で聴いてくれた。
自分でいうのも何だが、とてもいい講義だったと思う。
広告ゼミであるし、広告界の人間として私は呼ばれたわけではあるが、
広告論や、広告の作り方を語るのは極力さけた。
学生にはもっと大きなことを教えたかった。
もっと学生には大きなことを学んでほしかった。
いかに、学生生活を有意義に過ごし
大いなる人間になってほしいか、そういうことを説いた。
ぼくが学生の頃にそういうことを誰かに言ってほしかったように。
大学というのは大きなことを学ぶためにある。
大学を卒業して十数年、今、切実にそう思う。
講義の後は飲み会へ。
二十歳のみんなはビールで、下戸な私はひとりウーロン茶で乾杯。
講義で築いた威厳は崩れ去る。
最後に、胴上げされる。
胴上げなんて結婚式のときもされていなかったような・・・
教えるたびに、
私は学生に教えるだけの大きな人間であろうかと自問自答する。
いかんいかん、もっと大きくなっておかなければと。
たまに、教えることはいいことだ。自分がきりりと引き締まる。
学生のみんな、ありがとう。
教えを守って実りある大学生活を送るんだよ。
そして、スターになるんだよ。
2012年6月27日水曜日
2012年6月25日月曜日
2012年6月24日日曜日
2012年6月23日土曜日
2012年6月21日木曜日
2012年6月19日火曜日
2012年6月18日月曜日
2012年6月17日日曜日
セルフ屋敷へ
今日わざわざ住之江まで来た理由は、
コタケマンのセルフ屋敷に来るためであった。
元青果店の自宅を5年間作品としてつくりあげた結果がこれ。
外見をみた第一印象は「ひどい」・・・
下町情緒あふれる商店街から左に折れるとすぐにみえたこの光景、
あまりにも異質であった。
細くて急な階段を上るとまずダイニングがあった。
いろいろなオブジェにまじって、誰かの食べかけの餃子。臭う。
コタケマンは毎日この家で暮らしているのである。
巨大昆虫が卵を産みつけたかのような、天井。
気味の悪い立体物が続いたが、コタケマン、本業の本業は絵描きである。
絵はめちゃくちゃうまい。この絵も素晴らしいが、
撮影禁止だったからここでは紹介できないのだけども、1階の絵のクオリティは本当にすごかった。
屋上では近所の子供やおばちゃんたちがくつろいでいる。
こんな巨大昆虫の巣の中で、子供が生き生き遊んでいる。
セルフ屋敷のすごいところは、その作品もさることながら、
一般の人々に広く開かれているところ。
アートに興味のない老若男女まで、この狂気を楽しんでいるというところにいたく感銘を受けた。
とてもアンダーグラウンドな雰囲気もありつつ、子供がおもしろいとまで思えるところまで、
その気持ち悪さをポップにしあげているといったらいいのだろうか。
さらには、コタケマンの大阪のええ兄ちゃんのような人柄がそうさせているところもあるだろう。
昔、金沢現代美術館で感じた、アートと市民の近しい関係を思い浮かべる。
巨大昆虫の巣に長居していると、
自分も狂気の一部になってしまった・・・
というわけで、セルフ屋敷、最高であった。
残念ながら、この日が展示最終日。
またやってほしい。あと5回ぐらいはみたい。
もう長居するのはいやだけど。 2012年6月15日金曜日
TOO BLUE HARP
終電で家に帰るともう運行がとっくに終わったバス停で
おっさんがひとりハーモニカの練習をしている。
こんな雨が降る夜に降りしきる雨に 、こんなところで練習するなんて・・・
きっと家では奥さんに怒られてできないのだろう。
@夕陽ケ丘
2012年6月13日水曜日
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