隣の大野市にはなんども行っていたが、勝山のここにはまだ来たことがなかった。
人を拒むような杉が立ち並ぶ道がずっと続いている。
境内には苔の絨毯が敷き詰められている。
苔の上に残る雪も美しい。
何かの塚。石にもびっしりと苔が生えている。
奥に進むと小さな祠があった。
その周りには首がとれた仏像が放置されていた。
その数、200は超えていた。
どこかでこんな光景を見たことがあった。
アフガニスタンのバーミヤンだった。
バーミヤンはガンダーラといわれ仏教文化が花咲いた場所だった。
日本では天竺と言われた。三蔵法師が目指した場所である。そう、天国である。
後からここにイスラム教徒が入ってきた。
イスラム教徒は偶像崇拝を禁止してるため、仏像を破壊し、顔をはいだ。
そして、のちにタリバンが大仏自体を爆破し、
今は写真の石仏は跡形もなくなっている。
日本では明治時代の廃仏毀釈により、たくさんの仏像が破壊された。
神仏混淆の神宮寺が神社になった。平泉寺は白山平泉寺神社となった。
それはここ平泉寺だけでなく、あちこちであった。
特に奈良はひどかった。内山永久寺という
日光東照宮ほどの規模の寺が跡形もなくなくなった。
興福寺にあった国宝級の仏像が多く破壊された。
これは日本にあった文化大革命。
こういうことを行った政権の延長に今の日本があるということは
認識しておかなくてはいけない。
(平泉寺 勝山)
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