2016年12月14日水曜日

美しく若き心の展示

リュックのペアルックでペアリュック 。
鹿児島空港に到着した。



ずっと行きたかった「知覧特攻平和会館」。
展示内容はサイトより引用、以下の通り。


 この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
 私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。
 特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思います。
 この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第であります。


以下、写真撮影が禁止されていたので文字ばかりになるがご了承を。

中に入ると右から反時計回りに特攻に行った1036名すべての兵士たちの一人一人の遺影が飾られている。飛行服に身を包んだ男たちはほとんどが20代と若い。10代も中にはいる。
そこに悲壮感はなく、目を細めて未来を見ているような、澄んだ目をしていた。  
みんな男前なのである。飛行服がカッコいい。顔がカッコいい。
あくまで、外観的にカッコいい。
特攻という行為がカッコいいと言っているわけではなく。

解説を読みながらふとした事実に気づく。
飛行機が操縦できなければ特攻はできない。
3年ほどの飛行訓練を経てからわざわざ特攻をする。
特攻隊というのは、飛行機の操縦ができる優秀な人材だった。
当たり前のことだったが、そこに気づいていなかった。
そんな限られた優秀な人材をこのように使うとは、本当に愚かな作戦である。


一人一人の写真の下には、最後に遺族にあてた手紙がある。
以下、いくつか紹介させていただきたい。

 



ある者は最後まで勇ましく

御両親様
御家族様一同

指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る
千尋の海にちるぞたのしき

三月二十三日   伊舎堂大尉


若い兵士は母親に向けて手紙を書く。

母様 今何も言う事はありません
最期のまた最初の孝行に笑ってゆきます
泣かずによくやったと仏前にだんごでもそなえて下さい
人形は藤夫と思って下さい
兄姉かずみによろしく 忙しくこの字を見て下さい
近所の皆様にもよろしく
母様 藤夫は笑ってゆきます
元気で






父親は子どもに向けて手紙を書く。

    正憲 紀代子へ
父は姿こそ見えざるも いつでもお前たちを見ている。 よくお母さんの言いつけを守って お母さんに心配をかけないようにしなさい。 そして大きくなったなれば自分の好きな道に進み りっぱな日本人になることです。 人のお父さんを羨んではいけませんよ。 「まさのり」「きよこ」のお父さんは 神様になって二人をじっと見ています。 二人仲良く 勉強をして お母さんの仕事を手伝いなさい。 お父さんは「まさのり」「きよこ」の お馬さんにはなれませんけれども 二人仲良くしなさいよ。 お父さんは 大きな 重爆(じゅうばく)に乗って 敵を全部やっつけた 元気な人です お父さんに負けない人になって お父さんの仇を討ってください。
父より
まさのり きよこ 二人へ


青年は恋人に向けて手紙を書く。

二人で力を合わせて努めて来たが,終に実を結ばずに終った。 希望を持ちながらも,心の一隅であんなにも恐れていた“時期を失する”と言ふことが実現してしまったのである。
去月十日,楽しみの日を胸に描きながら,池袋の駅で別れてあったのだが,帰隊直後,我が隊を直接取り巻く状況は急転した。発信は当分禁止された。(勿論今は解除) 転々と処を変へつつ多忙の毎日を送った。そして今,晴れの出撃の日を迎へたのである。便りを書きたい。書くことはうんとある。
然しそのどれもが今までのあなたの厚情にお礼を言ふ言葉以外の何物でもないことを知る。あなたの御両親様,兄様,姉様,妹様,弟様,みんないい人でした。至らぬ自分にかけて下さった御親切,全く月並のお礼の言葉では済みきれぬけれど「ありがとうございました」と,最後の純一なる心底から言って置きます。
今はいたずらに過去における長い交際のあとをたどりたくない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与へて進ませてくれることと信ずる。然し,それとは別個に婚約をしてあった男性として,散って行く男子として,女性であるあなたに少し言って征きたい。
「あなたの幸せをねがう以外に何物もない」
「いたずらに過去の小義にこだわるなかれ。あなたは過去に生きるのではない」
「勇気を持って,過去を忘れ,将来に新克面を見出すこと」
「あなたは,今後の一時一時の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には,もう存在しない」
極めて抽象的に流れたかもしれぬが,将来生起する具体的な場面々々に
活かしてくれる様,自分勝手な,一方的な言葉ではないつもりである。
純客観的(な立場に立って言ふのである。当地は既に桜も散り果てた。
大好きなわかばの候がここへは直きに訪れることだらふ。
今更何を言ふか,と自分でも考へるが,ちょっぴり慾を言って見たい。
  • 読みたい本
「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
  • 観たい画
ラファエル「聖母子像」 芳崖「悲母観音」
  • 智恵子 会ひたい,話したい,無性に。
今後は明るく朗らかに。自分も負けずに,朗らかに笑って征く。

利夫

智恵子様

ただただ手紙と写真を見て泣く。
 まだまだいい手紙があった。以下で読むことができる。
http://www.chiran-tokkou.jp/learn/pilots/


特攻に行く前夜に泊まった宿舎が再現されていた。
最期の夜でもシングルではなかったのか。 



いや、もう泣いた。本当に泣いた。
そこにあった若く、美しい人々の心を展示していたといえばいいのだろうか。

これは建物の外の石碑にあった写真。 

特攻の是非は置いておいて、戦争の是非は置いておいて、
政治的思想は置いておいて、人生に一度は見ておいてほしい。

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