4年ぶりに陸前高田だ。以前来た時はたった1つの集合住宅ができたばかりであとは更地だった。今はショッピングセンターができ、他の地域にも町ができつつあった。
高台に造成された住宅地にあった真新しいベンチ。ここに座って遠く海を見つめるのだろうか。家はまだ完成されておらず、このベンチに人が座るまでもう少しかかりそうである。
左が現在の看板、右が震災当時の看板だ。
これだけかさ上げされているということだ。
かさ上げされた町から海の方へ降りていく。奇跡の一本松が孤独に立っていた。
背後には壊れたままの建物がある。
すぐ横を流れる気仙川の看板も当時のままだ。震災から1ヶ月後に被災地に行った。看板やガードレールがわかめのようにねじれていたことを思い出す。それらは水中にあり、水の力が作用したからこうなっている。
海沿いには防潮堤が立っていた。
高い。本当に高い。高さは12mほど。安藤建築の壁のように無機的に。
防潮堤を越えると海がある。海の国と陸の国を隔てる国境のように防潮堤は立っている。
まだ多くのものが建設中だった。海のそばの町なのに海が見えない。海風が木々を揺らすことも少なくなるだろう。環境が変化するだろう。まるで海の全てを拒否するかのようにそれは建っていた。これは陸前高田だけではなく被災地のあちこちで作られている。海とともに数千年生きてきた町なのに、海と町との関係が大いに変わってしまう。もちろん、甚大な被害があったからだが、このあり方が正しかったのだろうか。まるでゼネコンを儲けさせるために作っているように思えた。
住民の人に聞くと、高台移設と防潮堤の建設は勝手に決められていたと。防潮堤ができたとして、どうせ津波は防潮堤を越える。防潮堤がすべてを受け止めるのと破壊されてしまうので一部を逃して津波を越させてを力を逃すようにしたそうだ。しかし、津波が海へ戻る際に壁が邪魔するから、水が溜まってしまう。そのとき、第二波がきたらどうするんだと言っていた。しかも陸前高田は高台移転をしているのだ。
津波の被害を受けていない外野が言っていることは重々承知だ。ただ、これから生まれてくる人々はこの壁を見てどう思うのだろう。建てた人々のことをどう思うのだろう。
(陸前高田 岩手)
私事にて恐縮ですが、3 年ぶりの現状レポとなりました。平素より、大変お世話になっております。多大なるご活躍のほど、いつも感動とともに感銘しつつ勉強させていただいており、こころより御礼申し上げます。👍 本当にありがとうございます!
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