2020年11月9日月曜日

塩谷定好写真記念館と写真考


都築響一さんのROADSIDERS' weeklyで数年前に紹介されていて、
ずっと行きたかった塩谷定好写真記念館。

大好きな写真家である植田正治さんが「まるで神様のような存在」と
語っていたということ、
鳥取の赤碕という漁村にあるということ、
以上の理由でずっと行きたかったのである。




16時にいくと閉まろうとしていた。コロナなので14時に閉館していると。
しかし、大阪から来たというと開けてくださった。ありがたい限りである。
廻船問屋という裕福な生家がそのまま美術館となっている。



チケットには塩谷さんが印刷されてある。 
塩谷さんのプロフィールを公式サイトから抜粋する。 

塩谷定好(しおたに・ていこう 本名、しおたに・さだよし)   

 鳥取県東伯郡赤崎村(現琴浦町)生まれ。芸術写真の分野で国内の草分け的存在として活躍、海外においても評価が高い。大正時代に一世を風靡した単玉レンズのカメラ「ヴェスト・ポケット・コダック」(通称ベス単)を愛用し、「ベス単のフードはずし」と称された軟調描写(ソフトフォーカス)が作品の特徴。生まれ育った故郷を愛し、生涯にわたって山陰地方の自然を撮り続けた。     

塩谷定好さんを簡単に言ってしまうと、芸術写真の日本のパイオニアである。 記録ではなく、絵画のように写真を撮る、弟子の植田正治さんもまさにそうである。 
(芸樹写真とは何かという定義はあえてここではこう留めておく)










 作品はあるが、これが海外で特に評判になった作品 




いろいろと解説してくださったのはなんと塩谷さんの実のお孫さんだった。

塩谷定好を源流として、植田正治はじめ鳥取出身のカメラマンはとても多い。

その理由を聞いてみると、


1)美術協会が強くなく、新しい写真という芸術が入る隙間があった。

お隣の島根をはじめ、全国的にまず美術協会が伝統的に強いそうだ。


2)順光で海が撮れるから


鳥取の海は真北を向いている。  つまり、南からの太陽が順光となって美しい写真が撮れるのだ。  植田正治さんの写真も確かにそうである。 そして、昨年、山陰広告賞の審査をしたのだが、鳥取の作品の写真の力が非常に高かった。

じゃあ、あなたは他の日本海はどうなんだと思われるだろう。新潟は五十嵐浜など広い砂浜が多い。しかし、それは土門拳など東京の写真家が撮り尽くしたと。  山陰は東京から遠く、エアポケットだったということである

ここからは私の仮説である。他の日本海側はどうなんだと。東北の日本海側は西を向いている。北陸の日本海側は北を向いているが砂浜があまりなく  岩場が多い。じゃあ、東向きはどうだろか。東北の太平洋沿岸から千葉までは東を向いている。九十九里などよさそうである。しかし、夕日の時しか順光にはならない。 そして、夕日の光は美しいが、夕日という特徴が出てしまう。 西向きはどうだろう。朝一に撮らなくてはならないので難しい。 南向きはもちろん逆光の時間が多い。鳥取は、鳥取砂丘、弓ヶ浜など長い砂浜が多く、昼の光量が多い状態で順光となるのであしかも、曇りが多く、光がやわらかくなる。つまり、写真に適した場所なのである。

つづく


 

 

 

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