会社を辞めるわけではない。
会社が引っ越しするのである。
老朽化が進み、このビルは取り壊しとなる。
建築家・槇文彦氏の設計により、1983年に竣工した。
85年には国内の優れた建築に贈られる第26回BSC賞を受賞。
同じ年に第5回大阪まちなみ賞(大阪府建築士会長賞)も受賞している。
外見は立派だったが、
オフィスの中はミナミの帝王で出てきそうな中小企業のようだった。
名残惜しいので1階の喫茶に行く。
「この場所好きだったんですよ」と後輩の村田が切なくMacに向かっていた。
昼休みに同期で集まり記念撮影。
みんなで引っ越し先のビルを見つめる。
堂島から中之島へ。
島から島へと島流しである。
最後はみんなでジャンプをしてみる。
同期とは不思議なものである。
ただ同じ年に入社しただけで、性格も趣味嗜好もバラバラであるが、
一緒くたにされる。
社内の評価を争うライバルでもあり、仲間でもある。
「同期」という一言でわかりあえる何かがある。
同じ辛苦を共にすると結束が強まるのだろうか。
就職氷河期になんとか内定をもらい、
右肩上がりでもない、収縮傾向の社会で
抑えつけられながらもなんとか抜け道を探そうともがき、
ネットの登場に翻弄され、
ネット世代とテレビ世代の間に挟まれ
なんとか、楽しく生きている。
そんな同期と初めてあったのは内定式のこのロビー。
今日でお別れである。
先に引っ越しを済ませた別の部署のフロア。
夜逃げしたオフィスのようになっている。
思い出の喫煙室のソファはもうボロボロだ。
ぼくが喫煙家時代に先輩とよりよい喫煙環境を作ろうと
「Dojima Smokers Club」なるものを結成した。
部屋の片隅にオーディオ機器を持ち込み、JAZZを流し、
蛍光灯を外して間接照明にし、ソファを設置した。
このソファは先輩がヤフオクで落とした。
送り先を勝手にぼくの名前にしていた。
突然、でかいものを抱えたヤマト運輸が会社に来て、
心当たりがなく、かつ、「これは何か?」と会社から問い詰められ
ぼくはとても焦った。
喫煙室の壁にはぼくの写真が飾ってある。
パキスタンのバスターミナルで撮ったおっさんたちだ。タバコの煙で10年ほど燻されていいエイジング加工になっている。
一度、転勤で東京を離れて、5年ぶりにまた戻って来たら
これが飾られていて、とてもうれしかった。
後輩の藤井亮が1日がかりで壮大な落書き。
中央には関西電通の偉大な先輩、故・田井中さんの似顔絵。
まわりには関西電通が生んだCMのキャラたち。
富士通のタッチおじさんとか、ピップのダダンとか、ケンミンとか子どもの頃好きだったなあ。
記念にジャンプする。
退館時間が迫る。
まだ名残り惜しそうに高木先輩が一人残っている。
まるでビルに住んでいる精霊のように後輩の茗荷が残っている。
エレベーターホールのフロア表示板をえいと剥がす。
関西のクリエーティブ局はずっと7階だった。
もうやめてやると思ったこと多々。
でも愛おしい堂島のオフィス。
十数年ここに通っていた。
明らかに人生の大きな一部であり、
その大きな一部が今なくなろうとしている。
やるせない。本当にやるせない。
さようなら堂島
でも近いからまた来るぜ
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